- June 17, 2010 3:23 AM
- Life
久々に実家の母と電話。色んな話題の中で、Ustream っていうのがあるらしいねって話 / 姉と二人で App Store で一旗揚げられるような企画を考えるのが楽しいという野望について / 般若心経の話の三つが、特に印象に残りました。
何か最近(自分についてほとほと嫌気が差すようになったここ半年くらい)は、他人に対して「決めつけ」をしていることで、どれだけ自分自身が損を被っているかっていうことについて考えさせられる機会が多いです。好きな音楽・好きなスポーツ・好きな女の子・好きな服装... けれども、自分の「好き」って、そんなに信頼に足るものか?という感覚が、再度自分を締め付けるような日々を過ごしています。
「好き」っていうのを何かにつけて持ち出しては、それで複雑性の縮減を試みているというか。自分の感性のキャパシティが狭いことを、これが好き・嫌いっていうのを決めつけることで、対峙しようとしていない甘さみたいな。
けれど、どこで好き嫌いを分けるかに対する「とりあえず、現時点での」線引きは、自分がどういう状況であろうと持たなあかんなぁと感じます。でないと、日々の発言に全く信用が無い。自分の感性が嫌いとか、疑念に溢れているとか、思うだけならいくらでも自虐に塗れていて構わんけれども、発信することを考えると、そういう感覚はまた別個に扱われるべきものとなります。
そういう状況を脱するには、恐くても、まず感情を言葉にしてみるというのが大事な気がしています。するとその以前に、自分のそういった発言を受けとめてくれる人を設ける必要が出てきます。対人性はやっぱり捨ててはならんのです。当たり前なことですけど。
自信と自己憐憫は、アンバランスな僕には、かなり紙一重の関係にあります。そりゃそうやろ、と言われれば、返す言葉もありませんけど。
